心と体

新しい病気

いつか癌を患うだろうと気持ちは固まっているものの色んな病があるものですねwobbly

今回は

頚椎後縦靭帯骨化症

とやらだそうで、脊髄に輝度変化がみられるとの事。
手術が必要だろうとbearing

手術の内容読んでいるとちょっと怖い感じですけどこれもまた人生の試練。立ち向かわなきゃですdash

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子宮外妊娠

ここに来る時はいつも何か辛いことがあったときにばっかりな気がする。

ここは私の心を落ち着けるための日記の代わりだからしょうがないか…本当はクリスマスとか、リオや家族、友達とのこととか、いっぱい楽しいことも書きたいのにそれはいつも後回し、後回し。

新年早々のカウンターパンチをくらってくたばってましたweep今年は、できるだけベッドにしばりつけられないように、気持ちを上向きに、仕事に打ち込んで健康に!!って意気込んでいたのに…

運がないのよね。。

以前、これも書こうと思っていたのですが、リオを出産してからと言うもの、抗酸球性肺炎のため約1年程ステロイドの治療を受け、やっと治療の終了を言い渡されたと思ったら、TM→MSと病院のお世話になり、Adと話した結果、私の体では、二人目を授かるのは無理だと言う結論に達した。私もAdも二人目を望んでいて、実は女の子の名前も男の子の名前も考えていたのだけれど。。そして、避妊リングを入れたのは一昨年の7月。 日本では、結構お金がかかるものの、こちらでは、タダ。健康になる見込みがない限りは、はずす予定もなく挿入。しばらくお腹の不快感は続いたものの、最近では、ランダムに生理が二日程くるくらいで、順調だった。。。

??って思ったのは今月半ば。いつもは1ヶ月かちょっと遅れてかくる出血がそう言えば、しばらくない。まさか妊娠するとは思ってもみないからいつ最後の出血があったのかも覚えてないけれど、12月にはなかったはず。。。下腹部の膨らむような痛み。以前妊娠中に感じた痛みと似てたから、気になって、残ってた検査薬もあったしで検査してみたら。。。陽性★

去年たくさんの友達が出産していて、こちらで近しい友達にも赤ちゃんが産まれて、やっぱり羨ましい感は確実にあって、うん、嬉しかった。リングを入れての妊娠は99%ないってだし、小さな確立に当たったのかと思って、内心ワクワクしてた。リングを取り除いた方がいいのかも調べたり。子宮外妊娠だったらもっと出血もあるだろうし、そしてなによりもっと痛いはずだと思ったから。

子宮外妊娠って卵管で起こるだけじゃないって知らなかったわ。。。

日曜に検査陽性、月曜にGP受診、すぐに病院の方に連絡され、いつもだったら1-2週間かかる連絡がその晩来て、驚き。翌日火曜に病院に足を運ぶようにとのこと。これにも驚き。いつもだったら1ヶ月や2ヶ月待ちなのに。火曜の受診で、やはり出血がないことと痛みがそこまで激しくないから、今週中にエコーを取る形で進めて行くといわれ、ちょっと安心。

何か気になったらしくそのDrはエコーを今日取ってもらえるか、下に確認してくると言って待合室に移された。ちょうどあいたから今、エコーを取ってもらえるから下に行ってきてと告げられる。エコーの待合室にはまだまだ人がいたから、その日の検診が終わったわけじゃなさそう。え??何??と思いつつ検査室へ。一人の技師が結構長いこと調べてたけど、ちょっと同僚を呼んでくるって。。。話してるないようは、「ここにあるのはリングよね。。。して、これは血の塊??この影は何??。。。そのサイズを測って。。。ん…こっちのも。」。私には何も告げられず、また上へ上がってDr待ち。

ずっと相手をしてくれてたDrが、上司より話があるので、まだ待機してくれとのこと。

ここからちょっと不安になってきたものの、まだ何かしらの希望は捨ててなかった。

上司よりの説明は、「エコーでは子宮には何も移ってなく、子宮の外に影があるので、それを調べなければならない。できれば、今夜、遅くとも明日の朝には腹部3箇所に穴を開けて腹腔鏡にて卵管を調べ、もしそこに子宮外妊娠が確認できれば、それを切除します。もし、確認できなければ、またその後の状況次第でことを進めていきます。」とのこと。

。。。何が起こっているのか頭ではわかっているものの、心で受け止められずに、黙ってると、何か質問は??と言われ。。。質問も考えつかずにいいえ、と答えるしかなく。。。

入院。

Adに電話をして、きてもらうことになったけれど、遠くのオフィスに居る日で1時間はかかるとのこと。その間に、色んな質問やら説明やら、同意書のサインやらで慌しくて、悲しむ暇もなく過ぎた。Adが着いて全部話を説明すると、「よかったじゃないか、こんなに早く対応してくれて、そして私も無事であるんだから。いや、ドクターからの説明は要らない。明子から聞いただけで十分だ。」と。何か納得いかなくて、ちょっとした憤慨みたいな気持ちがこみ上げて、しゃべれずにいると涙が出てきて、どうしたと聞かれても、大丈夫だとしか言えなくて、Adの言ってることは正しいわけで、同情してもらいたいかって言うとそういうわけでもなくて、自分の考えが子供じみている気がして何も言えず、ただ泣いた。。。

手術室へ送り込まれたのはその夜の10時。目が覚めたのは1時半で病棟に戻れたのは2時。病棟に戻ってからとってもトイレに行きたくて、簡易便器の上に座ること5分。何も出てこない?? ベッドに戻るも心地悪い私を見て、看護婦さんが機械を持ってきて、お腹に当てた。20ml。殆ど膀胱に尿はないよって。そんな機械もあるのねぇ。 翌朝は逆で、一晩点滴で落とした水分があるはずなのに、もよおす感じがない。で、今度は出るまで座っててといわれ、どこに力を入れていいのか、力を抜いていいのかわからず奮闘。10分後に何とか放尿☆いっぱい出た。

朝ごはんを食べた後、ドクターが来て、言った。卵管への着床は見られず、影は卵巣にのう胞があって腫れたものだったとのこと。今日のところは一応退院して、明日(木曜)の午後に採血に来るようにと言われ、そこで妊娠ホルモンの値が下がってたら、自ら流れたのかもしれないと。

何だか、ほっとした。そして、その日も翌日も若干残る痛みもあったし、縫合部の痛みもあって眠り続け、午後の採血にだけ外に出た。

雪☆日本に居るときは嫌いだったけど、やっぱり今でも寒いのは苦手だけど、慣れたのもあって、何だか嬉しい。リオともっと雪合戦したいなぁ。

更に眠り続けて金曜日。ドクターからの電話で起こされた。悪い知らせだった。ホルモン値が若干上がっているとのこと。痛みも激しくはなっていないものの続いていると告げると今からまた病院に来るようにとのこと。

再入院。

土曜は静か。。週末だから。ドクターも昼近くまで来なかった。しかし、来て話してみて驚き。また手術だって。子宮内を掻爬。所謂堕胎手術のようなもの。それで、ホルモン値がまだ上がるようなら薬物投与にてこの妊娠を終わらせると説明された。。。また手術…

二度目の全身麻酔に少々びびりつつも、明るいおでぶのアシスタントが眠り際まで励まし続けてくれた。日本に旅行に行きたいんだと。これって外国人だったら誰にでも言うのかなぁなんてひねくれた思いを胸に会話を続けた。話は尽きずに色んな手段で、安心させようとしてくれる。いよいよ、麻酔をかけるときになって、手術助手が留置針の挿入をしそこね、別の血管をまた刺そうとしてるんだけど、この助手二人さ、血止めのバンドを使わずに一人が腕をつかんで血管を浮き立たせようとしてるの。そんなことだから失敗するのさぁ(怒)。結構痛くて、顔をしかめてる間にも麻酔医は気をそらせようとして、どんどん話しかけてきて質問もするし、いっぱいいっぱいになってたところで、おでぶさんが手を握ってきてくれて。ぎゅっと握り返した。結婚してなかったら、こういうところで恋とかうまれるんだろうなぁってひとごとみたいに思ってた。そして、、、今度こそ、この手術で終わりになりますように。

目が覚めて病室に戻ってみると、夕食が終わってた。手術のために昼を抜かした挙句に晩御飯も逃した~。この病院、定時にいないと食べられないんだよねぇっと思ったら。気が利く看護婦さんがいたぁ!!トーストでも食べるか?って。朝ごはんのシリアル以来食べてないからお腹ぺこぺこ!!トーストにがっついてると、手術後の患者さんは食欲ない人が多いんだけどねぇってつぶやいてた。私は食欲なくなることそんなにないんですっ。

って、言ってもさすがに食事をまともにできない日が続いてたおかげで、2キロ程減ってた。最近の私にはこの2キロ減るってのが大きくて、食べて元に戻さなきゃ!!!

してまた、災難は続く。

日曜の朝、血液検査結果次第で帰れるとか。術後の気分は良好だし、帰る気満々で笑顔でドクターを迎えたものの、待っていたのは酷な報告。

ホルモン値が更に倍に…

??何故??何で??帰りたい。

このまま帰すのは危険なので、もう一晩泊まってもらって、月曜に薬局が開いてから、薬を準備してもらって、そのあと、様子を見て帰れるかみますと。。。

薬…?? 2度の手術の上に薬で卵を殺すのか。。。

何だか、怖くなった。そして、知っておきたくて薬の名前を尋ねると、メソトレキセート。今になって、子宮外妊娠には通常に用いられる薬だとわかったものの、私の知識では抗がん剤止まり。不安にさいなまれた夜をすごした後、朝に診察に来た駆け出しドクターに薬の使用にはちょっと気乗りしない旨を伝えた。

藁をもすがる思いで、日本の友達にメッセージを送り、話すことができた。彼女の人脈のおかげで、産婦人科医の話を聞くことができて、安心した。日本語で自分の不安をぶちまけられる安堵感と、何が起こっているかを把握できた安心感で自分のなかで感極まっており、そこでとどめの一発。事務員さんに病室での携帯の使用を注意されました。いや、わかってたんだけど、2度目の友達の電話の前は全部外で話してたんだけど、その時だけ、足がね動かなかったのよ。(言い訳)笑った覚えもないし、大きな声で話したわけでもないし、見逃してくれてもいいじゃんーーーーって思ってたら、もうその感極まり様が度をこしてて…年甲斐もなく号泣してしまいました。しゃくりあげるくらいまで泣いている私をみて、注意した事務員さん、お茶を入れて持ってきてくれたわ。

友達のおかげで、薬に挑む元気も出た。で、先に気乗りしない旨を伝えていたのが担当のドクターに伝わっていたらしく、彼女ももめるのを想定してきたような顔をしてきた。すぐに私が前向きなことを伝えると注射の準備はできつつあるから、注射の後、退院を考えましょうといってくれた。

2時間程して、注射のために別の病棟に行き、投与を受ける。 …いやぁ。。。痛かった。お尻に注射を受けたのはどれくらいぶりだろう。ちょっと間抜けな気分だったけど、そうも言ってられない程、注入時間が長くて悶絶、悶絶。注入後も腰に響くような痛みでしばらくうなってた。。。

この後、病院を開放され、只今、自宅療養中。

ホルモン値がまだ下がってなかったら、また注射らしいので、、、下がってますように。

とてもわかりやすい子宮外妊娠についての説明を見つけました。

http://www.ladys-home.ne.jp/faqsite/ans-files/FAQ-I/FAQ-I10.html

これ、見てたらもっと安心して居れただろうになぁ。(私、よっぽどドクター達、信用してないのね。。。) このサイトによると私の場合は稀な腹腔妊娠みたいですね☆

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MS治療

いつものように、また具合が悪くなっておりました。去年の4月以来で一番ひどい再発だったかな。。。と言っても去年ほどひどくはないのが歩けたし、排泄障害もなかったこと。

その間、去年の10月にMSの診断を受けてよりやっと専門医による診察を先日受けることができました。

4月に発症してからの経緯や施された治療などをもう一度おさらいしてこれからの治療方針が決まり一安心。その時に次にちょっとした再発が起きたら、GP(かかりつけの医師)に見せて処方してもらうといいと言って手紙を書いてくれた。

して、その診察から1週間ほどで手紙が届き、そして即使うことに。。。

その量のステロイドを手に入れるにはやはりこちらのドクターと言えど戸惑った。

朝から動き出してステロイドを手に入れたのは5時を廻ってた。

でも、わかるのがその量もメチルプレドニゾロン500mg/日。ステロイドの量がわかる人にはその量が尋常でないことは理解できるはず。

こちらは、医療費がタダのため、少しでも入院患者を出さないようにするのが策だと言っても、これはすごいなと思った。

でも、今回は足の筋力が弱くなったのを感じたので、去年のような再発を免れるには何でもすると思った。5時すぎにこの量を飲めばどうなるかはわかっていたけど、できるだけ早くと思って家に帰って服用。6時近くになってたかな。。。

して、予想したとおり、寝れない。翌朝、4時まで目は冴え冴え。

おかげで、Stagのためにドイツに出かけるAd殿を午前3時に苦なく見送りができた。

。。。6時にはリオが目覚め、起床。その日は普通に夜10時まで昼寝もすることなく過ごせる始末。

この処方が5日間続きつつも足の弱まりとしびれ感は右半身に広まった。薬が終わった翌3日間は、全く体が動かずに、いくら寝ても寝ても辛くて寝続けた。そして、今日。普通の生活ができてます。

ドクターが言うには私のMSのパターンは再発と寛解を繰り返す型とのこと。去年4月の発作に加えて、もし7月の目の症状がなければ両性のものに分類してたと言われた。目も1ヶ月程ほとんど見えなかったけれど、そう苦になるものではなかった。どちらかと言うと疲労感の方が生活に多大なる支障を来たしていたのだもの。発症以来、続いていたしびれなどを総合して、1-2ヶ月に一度は小さくても発作があり、それが治らないうちに次の発作が出ていた為に体が付いてゆけずに疲労感として表れていたのだという。で、その小さな発作でも早めに対処すれば、残りの時間は普通に過ごせるのだと言うのがドクターの見解。それに納得はしたものの、このステロイドの量。ちとびびったけど、試さずに何がわかろう!!見た目は普通の錠剤だもの。大丈夫と言い聞かせ、試した結果が◎。薬が切れた2-3日は本当に辛かったけど、のこり一ヶ月毎日毎日動くのもおっくうなくらい疲れを感じるよりはまし!!すごいなぁって思った。

そして、今月、自己注射の説明を受けて、インターフェロンの注射を始めます。これで、少し気分的にも発作を恐れることからも楽になるはず。

日々、学習。そして、日々、成長。

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酸素療法

今年はマメにUPしますとか言っといてまたもご無沙汰しておりました。

ってのが、突然、酸素療法というものを受けることになって毎日が嵐のように過ぎ去っていきました。

1月末に登録してある保険会社の提携先の看護師団体の人から連絡があり、以前、お勧めしたMSに関する組織や集まりに興味はあるかと聞かれ。。。実は全く考えてなかったのだけれど、近く(と言っても30分はかかる)の町にひとつ何かあったなぁと思って口に出したら、費用はこちらで持つので、興味があるなら是非行ってみたらどうかと言われ。。。

して、そのセンターに電話し、見学の予約を取った次の日に酸素療法の初回コースのキャンセルがあって空きが出たからそのコースに参加しないか?と。。。

ひとつ返事ではいとは言ったものの、1セッション3時から4時半の一時間半、センターまでの往復を足すと約3時間。それも平日毎日。リオはどうしよう??!!

まさか、センターに連れて行くわけにはいかないので、ママと友達に頼み、何とか毎日リオを見てもらう人を見つけて、15セッション→3週間をこなしておりました。

酸素療法と言ってもピンとこないかもなんだけど、その名の通り、酸素を吸入するの。でも、ここでただ吸入するだけでないのが高圧下で。最高8人まで入るタンクの中に入り、圧力を上げていく。一応、圧力ではなく水深○○フィートと言う形で説明される。最初の1週間で16.5フィートに慣れ、翌週22フィート、翌々週33フィートと圧力があがってく。その後、1週間に一度なり、1ヶ月に一度なり個人の状態に合わせて受けていくことになる。

私は1週間に一度に落ち着いて、体調は良好です。

もちろん、MSの進行を止めるものではないのだけれど、ものすごい疲労感に悩まされることが軽くなっただけでも、驚きの効果と言えるかも!!2週目にして、昼寝をせずに一日を過ごせる日が出てきたのは私には本当に大きくてありがたいものでした。

もちろん、センターには杖と車椅子の人びとが溢れていて、最初の週はかなり凹みました。将来10年、20年先の自分の姿なのかと思うと、やっぱり気分が上には向かなくて。。。でも、タンクの中でお話した人たちは皆とっても明るくて自信に溢れている人たちばかりで、逆に力をもらいました。特に1人、今は杖無しでは歩けない女性なんだけど、20年前の発症後に3人の子供に恵まれて、5年前からセラピストとして働き始めたと言うとても魅力のあるひと。この人にすごく影響を受けた3週間でもあったかもしれません。

日々、成長。

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難病

今日、病院の診察がありましたhospital

4月に下った診断を改め、多発性硬化症(MS)と診断されました。

http://www.nanbyou.or.jp/entry/294

7月に視神経炎、その後右半身のしびれが発生したため、MSとしての治療をこれから始めていくと。病院専任のナースがついてくれて、更には専門の病院(4月に転送された病院)の医療チームがついてくれるそう。

少しショックではあったけれど、これで治療方針が見えたし、何やら不明の症状とおびえずに済むことに安心感の方が大きいです。

それにしても、私のGPどうなんだろう。

送ったと言ってた手紙は専門医には届いてなかったみたい。。。まったく呆れるのには慣れてきたけどここまでだともう呆れようもないgawk

日本では難病指定になっている病気。多分、こんなには放っておかれなかっただろう。でも、その診断が下るまでに検査に費やされるお金は予想もできないくらい高いだろうなぁって怖くも思った。

どっちもどっち。

今ある形に納得して前に進まねば!!

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幸せの再確認

私が健康体だったのっていつだろう??

物心ついたときから何かしら病にかかってた。いつしかそんな体を持つからか、心も病むようになってた。

今回も地面にたたきつけられた思いだったsad

自分が幸せであると言うことはわかっているつもりなのにそれでもまだ苦難を強いられないといけないのか??って。

診断名は横断性脊髄炎。

http://www.christopherreeve.org/site/c.niKTL3PMLtF/b.4637203/k.5F44/271782602924615330343962028814__Transverse_Myelitis.htm

稀な病気らしい。

どうしてそんなのを患うんだろう。

病院に送り込まれたときは私もAd殿もまたか…ってちょっと呆れて笑い話にまたなるねぇって感じだったけど、病院を転送されたり、頭のMRIを取られたり、どんどん雲行きがあやしくなってきたのに自分でも本当に怖くなった。

でも、車椅子か杖の生活かもしれない、そうなったら私にかっこ悪くない杖とか車椅子買ってね、ってAd殿にまだ冗談が言えるほど私自身が今回は落ち着いてたのには自分でも驚いた。

さすがに病院を移送されるときやリオがお見舞いに来てくれたときには泣いていまったけれど、それ以外は手紙を書きつつ必死に頭を整理した。こんなに冷静で居れるって言うのは強くなった証拠なのかと思って見たり。

またも色々なことに気づくきっかけになったことは確かだった。

気にもしてなかったリオの私への思い。こんなに強く、拒まれたことに涙はとまらなかった。そんなリオを叱るAd殿にしがみついていくリオをみて、自分が母親として情けなくも思った。

そして、以前、大喧嘩でイギリスに嫌な思い出を残させてしまった母には今回の事件は功を奏した。母の助けなくしてはこの困難を乗り越えられなかったから。動けない私、そして大きな試験を控えるAd殿、思いっきり手のかかる年頃のリオ。渡英を快く承諾してくれた母にいくら感謝しても足りない程だった。今回は1ヶ月の滞在で彼女の頭につめきれないほどの良い思い出を残してもらった。私も、リオもAd殿も母も。苦しくても幸せな時間。そうそうあじわえるもんじゃないな。って思った。

自分と向き合うことの大切さ、そして今そこにある幸せを感じる大切さ。改めて再確認した気がする。

ありがとう、生きている自分。

ありがとう、愛してくれるみんな。

ありがとう、私の宝物。

ありがとうで毎日をいっぱいにしたい。

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